基調講演 『カムカムプロジェクト実践報告』 ONG: INSTITUTO DEL CAMU CAMU PERU NGO: ペルーカムカム協会 会 長: 鈴木孝幸 1.挨拶 ペルーから来ました鈴木です。宜しくお願い致します。 今日は、ペルーのアマゾン原産の、カムカムという果物を、採集又は栽培、そして加工、輸出することにより、その地域の貧困問題、雇用問題、社会問題、環境問題を解決しようとするプロジェクトについて御紹介させて頂きます。 2.地域概要 このプロジェクトは、南米ペルーのアマゾン地帯で行っていますので、まずごく簡単に、ペルーの位置、気候について説明致します。ペルーは、南米大陸の太平洋岸の中部に位置しています。 熱帯から亜熱帯に属する地帯なのですが、太平洋岸を流れる寒流、フンボルト海流と、アンデス山脈の標高差などにより、とても多くの気象区分に分かれています。 その多くの気象区分を、地理的条件により、大きく三つの異なった地帯に分けると、砂漠が多く雨の殆ど降らない海岸地帯、アンデス山脈の連なっている山岳地帯、熱帯雨林気候のアマゾン地帯になります。 ペルーというと、アンデスという印象が強いと思いますが、実際は面積の約59%はアマゾン地帯です。 今回お話するプロジェクトは、このアマゾン地帯で行われています。 3.動機 私がアマゾン地帯でカムカムを選んだ理由を説明致します。 ペルーでは、多様な気候を利用して、多くの農作物を栽培することが出来ます。 しかし、農業は、作物を栽培して収穫出来ても、そのあとに売って利益がなければ成り立ちません。 現状としては、農民は殆ど儲からない場合が多く、赤字になってしまうこともあります。 そこで、それぞれの地帯で、その土地に合った作物で、その地域の人達がより収益を得られるものを選び、採集又は栽培、そして加工、輸出をするプロジェクトを計画、実践することにしました。 いろいろな植物を調べているうちに、カムカムという、ビタミンCが100g中に2,800mg以上も含まれているという果物を見つけました。 もし本当であれば、レモンの80倍、アセロラ、又は最近日本でも話題になったローズヒップの二倍以上になります。 実際に分析した結果、本当に言われていたとおりのビタミンCが含まれていたので、アマゾン地帯では、このカムカムが最も有望だと思い、このプロジェクトを開始することにしました。 4.カムカムとは まだ、カムカムを御存知ない方もいらっしゃると思いますので、簡単に紹介させて頂きます。 カムカムとは、ペルーのアマゾン川流域原産のフトモモ科に属する植物で、潅木、大木になるものなど何種類かあります。 その中でも、ビタミンCが最も多く含まれている、潅木の、学名がMirciaria Dubia という品種を選びました。 この品種は、自然の状態では、アマゾン川流域の、流れの緩やかな水辺に自生しています。 雨期と乾期の水位差は10m前後あり、雨期になると、3ヶ月から5ヶ月の間、水没してしまい、その後、水位が下がり水の中から出てくると、芽が出て、葉が茂り、花が咲き、実がなります。 新しい枝に多くの実がなる習性があるようです。 現地では、昔からジュースにして飲まれていましたが、いたむのがとても早く、冷蔵施設がなければ長距離、長時間の輸送は難しいため、ほかの地域には、殆ど普及しませんでした。 ペルー人でも、カムカムが自生している周辺以外の人は、その存在すら知りませんでした。 現地では、肌荒れ防止、風邪予防、便秘、肥満抑制、糖尿病、高血圧などに良いと言われています。 5.実践内容 次に、これまでに実践したことについて報告させて頂きます。 まず最初に、プロジェクトの普及活動について報告させて頂きます。 村々を回ったり、新聞、テレビ、ラジオなどで、採集方法、栽培方法、輸出の可能性などを伝えて行きました。 特に、最も多く自生しているロレート県の、中心都市、イキトスには力を入れ、毎週月曜日から金曜日の6時から7時まで、テレビ番組の枠を取り、出来るだけ普及に努めました。 その当時は、農業省の農場試験場で実験の為にほんの少し植えてあっただけで、一般には栽培されていませんでした。 現地の農業技師達は、水辺に自生している植物を畑で栽培するなんて失敗するに決まっているのでやめた方がいい、という考え方を持っていました。 そこで、誰でも視察出来るパイロット農場を作って、栽培出来ることを証明し、普及して行くことにしました。 まずパイロット農場の場所選びですが、栽培に適した気候で、誰でも簡単に視察に来れて、輸出港のカヤオまでスムーズに運べる所が理想的でしたので、ティンゴ・マリアという場所が良いと思いました。 しかし、実際にティンゴ・マリアへ行ってみると、とてもそんな状況ではありませんでした。 センデロ・ルミノソと、日本大使公邸人質事件を起こしたMRTA(テゥパックアマルー革命軍)というテロ組織が、活発に、破壊行為、殺人行為をしていて、しかも、麻薬のコカインの原料であるコカの産地でもあり、麻薬のマフィアまでいるところでした。 テロ組織はまた、麻薬を積んだ小型飛行機を、一回無事に飛ばせば数千ドルもらうというように、マフィアの用心棒もしていてお互いに繋がりがありました。 さらに、警察、軍隊、政治家の一部もグルになっていて、うかつに、誰がマフィアか、などと密告したら逆に簡単に殺されてしまうような状況でした。
ですから、ティンゴ・マリアで始めることは断念しましたが、その時に、カムカムはコカの有望な代替作物になるのではないかと思いました。 それから、ほかの場所をいろいろを調べた結果、ティンゴ・マリアより遠いところにあるので、少し不便ですが、その当時にしては比較的安全なプカルパというところで始めることにしました。 当初、貧困対策、雇用対策として、少なくとも悲惨な現状よりは、農民の収益を上げるのが目的でしたが、ただそれだけではなくコカの代替作物としても考えるようになったので、コカを栽培するよりも収益が上がる栽培法を考える必要が出て来ました。 そこで、収穫までの期間が早くなり、より収量が増えて収益が上がるように、接木苗による栽培を普及することにしました。 接木苗は、農民なら誰でも出来るというわけではありませんので、自分達で苗を作って、農業省を通して配布するということにしました。 実生苗は500万本、接木苗は30万本まで作りましたが、残念ながら資金が足りなく、それ以上は接木苗を作ることが出来ませんでした。 取り敢えず、出来た苗から農場に定植して行き、栽培面積を増やして行くことにしました。 パイロット農場は、多くの経済的にゆとりのない農民への普及の為であり、コストがかからない方法で栽培するようにしたので、敢えて灌漑もしませんでした。 そしたら、現地の農業技師達からは、水辺で育っている植物が乾期の直射日光の中では、灌漑せずには持たないに決まっていると言われました。 そこで、日本人なら当たり前ですが、現地では今までしなかった、除草した草でマルチをする方法を試してみました。 アマゾン地帯では、雑草の生育がとても早く、旺盛で、現地では通常除草したあと、燃やしてしまいます。 その余っている雑草を極端に厚く敷いて、乾燥、地温の上昇を防いだら、乾期も持ち堪えることが出来ました。 それ以来、現地の農業技師達から余り非難はされなくなりました。 こうして、栽培のプロジェクトは進んで行き、あとは収穫が始まるまで待つことになりました。 今まで、農業省などの国の機関、国連などの国際機関、NGO団体などが、いろいろな作物を栽培するプロジェクトをして来ましたが、結局は農民が儲からず失敗しています。 主な原因は、作物は出来るのですが、市場がなくて売れない、また、売れても価格が安すぎて儲からないということでした。 (儲かっているのは、農民ではなくプロジェクトを作っているコンサルタント、農業技師、ワイロをもらっている役人だけです。) 農業は、最初の方でも言いましたように、やはり収穫が出来ても、売って収益が得られなければ意味がありませんので、栽培ものの収穫が始まる頃には市場が出来ていなければ困ってしまいます。 そこで、栽培ものが出来る時には市場が出来ているように、栽培プロジェクトと並行して、天然ものの採集、加工、輸出のプロジェクトも始めました。 まず、カムカムの分布図を農業省から入手し、実際に視察して周ってみました。ところが、分布図と実際の分布に大きな違いがありました。 分布図は、簡単に行けるところだけ記入されていて、もっと奥地の、しかもより多くの量があった場所が、記載されていませんでした。 しょうがないので自分で調査することにしましたが、ロレート県だけでも日本の大きさですので、小型飛行機を乗り回しても、一通り視察して新しい分布図を作るのに当初思っていたよりもかなり時間がかかってしまいました。 カムカムの果実は、とてもいたみやすいので、新しく作った分布図を元に、採れる地域ごとに徐々に一次加工の工場を作っていくことにしました。 ここで行なう一次加工とは、果実から皮と種を除きパルプにした後、長期保存が出来るように冷凍パルプにすることです。 何ヵ所かで始めましたが、その中でも、一番遠いところにあり、社会的問題も多かった、「ある町」に工場を作り、天然採集、加工、輸出を開始した時の状況を報告致します。 この町は、コロンビアとの国境を付近にあります。 イキトスから小型飛行機で飛んだり、船だと途中でブラジル、コロンビアの領土を通らなけば行けず、かなり大回りになり、約二週間もかかってしまいます。 どうしてこんな遠いところにある町を選んだかと言いますと、調査の結果、この周辺一帯に最も多くカムカムが自生していたからです。 最初に農業省から入手した分布図には載っていませんでしたが、その当時は商品としての価値が分からなかった植物を、わざわざこんな遠いところまで来て時間と費用をかけてまで調査する必要がないと思ったのかもしれません。 私が入るまでは、殆ど誰も手をつけず、子供達が、揺すって果実を川の中に落として遊んでいただけだったそうです。
その後は、農業省も、我々の情報を元に、分布図を修正して行き、今では知られるようになりました。 「この町」はこの周辺では大きな町になるのですが、どうしてこんなところに出来たのか疑問でした。 何も産業らしいものがなく、対岸のコロンビア側にも町がなく孤立しており、商業の町としても全く不自然です。 実はこの町は、ペルーからコロンビアへ、麻薬のコカインを運ぶルートの拠点だったのです。 麻薬のルートだけではなく、この周辺でコカインの製造もしていました。 それを取り締まる、対麻薬の警察部隊が駐在していました。 この町にはまだほかにも問題がありました。 コロンビア側には、ゲリラ活動をしているコロンビア革命軍、FARCが潜んでいて、ペルー側に侵入して来る可能性があるという情報が流れました。 そして、ペルー側に侵入してくるのを防ぐ為に、ペルーの軍隊まで出動して、駐屯地が出来てしまいました。 ペルーのテロ組織MRTAも、社会主義的政治活動から武装闘争に変わる時に、コロンビアのゲリラから戦闘を習う為に、この辺を出入りしていたと、元MRTAの幹部が教えてくれました。 麻薬のマフィア、コロンビアのゲリラ、ペルーのテロ組織、軍隊、警察と、問題だらけの町になってしまいましたが、せっかく天然ものが最も多く自生している場所をみつけたので、何としてでもプロジェクトを実践したいと思いました。そして、いっそのこと、全ての組織と、ある程度距離を置き、適当に良い関係を保ちながら、付き合って行くことにしました。 麻薬のマフィアには、コカの代替作物の話には一切触れず、現地の人達が彼等の意思でカムカムを採集し、より収入を得ようとしているだけで、麻薬とは関係ないというふりをすることにしました。 しかし、現地の人達は、本当にカムカムで生計がたれられるのなら、もうコカを栽培したり、麻薬に関係する仕事からは手を引くと言ってくれました。 テロ組織は、もともと貧富の差を出してしまう現状の政策に不満を持ち、社会主義的、共産主義的政治活動をしていましたが、彼等の思想が受け入れられらない為、エスカレートして武装闘争に走って行きました。 ですから、我々も、本当に貧しい人達がより収益を得られる為のプロジェクトを実践しているのであり、やり方は違うが目的は同じであるということを、理解してもらうことにしました。 直接接触して失敗すると簡単に殺されてしまう可能性があるので、元彼等の幹部クラスのうちで、途中で疑問を持ち組織から脱退した人達に仲介役になってもらうことにしました。 日本では考えられないかもしれませんが、軍隊、警察の中にもとても悪い奴がいます。 軍隊は、その一部が麻薬に手を出していましたが、金欲しさにやっていることなので、麻薬のことには触れず、カムカムの運送をする仕事を与えて少しは儲けさせてあげ、適当に良い関係を持つことにしました。 軍隊に運ばせれば、ペルーでは良く起こる、途中で強盗に合うようなことは殆どないという我々にしても都合が良い点があります。 空軍には、小型飛行機でロレート県内の移動と運送、貨物機でイキトスからリマまでパルプの運送を頼みました。 陸軍には、ヘリコプターで、イキトス、「ある町」間のパルプ、物資の運送を頼みました。 海軍には、船で、「ある町」からイキトスまでのパルプの運送を頼みました。 ペルーでは、一般的に、やたらワイロを要求しようとする一番たちの悪い警察には、邪魔をされる代わりに仕事を与えて協力させることにしました。 彼等には、護衛と運送する時の見張りの仕事をさせました。 町の警察署の署長と、給料はこちらが払うから、必要な人数の警官を手配するよう直接交渉し、承諾してくれました。 多分、署長と幹部が、警官の給料を多少は横取りすると思いますが、それはもうこちらの問題ではありません。 途中に何ヵ所かある検問所にいる、ワイロ欲しさに言いがかりをつける悪い警官や農業省の役人も、警官をつければ何も出来なくなります。 このように、全ての組織と出来るだけ問題なく付き合って行くようにしました。 これで、プロジェクトが開始する準備が出来ました。 まず、周辺の村を周り、それぞれの村で村人を集め、採集、運送の仕方の説明をして行きました。 加工施設の建設も開始しました。 水、電気もない町でしたので、加工場の建設の前に、発電機の設置、井戸の採掘から始めなければいけませんでした。 発電機の設置もまあ大変でしたが、もっと大変だったのは、発電機や船のエンジンに必要な燃料の調達でした。毎月、最低でも15,000リットルの石油と5,000リットルのガソリンをこんな辺ぴなところまで運ばなければいけませんでした。 加工施設の建設で一番大変だったのは、冷凍庫でした。 移動が可能な40フィートの冷凍コンテナを使用することにしましたが、リマから送って設置するのに5ヶ月もかかってしまいました。 この町には、車さえも一台もないくらいでしたので、運搬機械などは当然なく、加工場のある高台まで、人力のみで運ばなければいけませんでした。 こうして、加工場の建設、採集のための準備、加工後の運送の準備が出来、実際に採集加工、輸出を始めました。 我々がこの町でプロジェクトを開始したことにより、町の人達が思ってもいなかった二つの利点が増えました。 一つは、電気です。加工場は、冷凍庫の為に24時間発電しなければいけないので、加工場の周りは24時間電気がつくようになったのです。 もう一つは、物価です。今までは、物資を少量ずつ飛行機で運んでいたのでとても高かったのです。 我々が入る前は、ものによってはイキトスの3倍以上の価格でした。 例えば、コカコーラの1リットル瓶が、イキトスでは約120円だったのが、この町では約350円でした。 我々が来てからは、船で燃料や必要な物資を運ぶ時に、あいているスペースに予め彼等が必要なものをイキトスでまとめて卸値で買うので、利益を入れて売ってもイキトスとほぼ変わらない価格になりました。 このようにして、天然ものの採集の場合は、自生している場所に加工場を設置して、プロジェクトを進めて行くことにしました。 6.課題と今後の方針 以上、このプロジェクトの今までの経過を報告致しました。何とかここまでやって来ましたが、これからも継続していく為には、いろいろな問題を解決していかなければなりません。 その問題の解決は、政府の機関に頼っていてはとても難しいと思います。 特にペルーでは、政治の影響が強すぎて、例えば政権が変わってしまうと、前の政権が仮に良いことをしていても全て非難の対象にされ、途中で中止されてしまいます。 かと言って、民間の企業では、援助が得られにくいと思います。 今回のようにインフラが整備されていない場合に、民間企業が何もないところから始めていたら、コストが高くなってしまい、現地の人達には利益がありとても感謝されても、企業としては、殆ど利益がなく、継続が難しくなってしまいます。 そこで、現地の言葉で「INSTITUTO DEL CAMU CAMU」、日本語で「カムカム協会」という、カムカムに関係する全ての人達のために作ったNGOにより、政府、民間企業では出来ない資金援助、プロジェクトのサポートをして行きたいと思います。 7.環境保護との関係 このプロジェクトを実践する中で、さまざまな環境を破壊する行為もまの当たりにしました。 各地で木が乱伐されていました。 川で金の採集もしていますが、精製する際に水銀を使用し、それを川に垂れ流しています。 コカを精製する時も、環境を汚染する化学製品を使用し、垂れ流しています。 コカを撲滅する対策として枯葉剤を散布をした場所は、コカ以外の植物も育たなくなってしまいました。 このような行為は、ただ禁止しても、なくなることはないと思います。 それに代わる仕事がなければ、これからも続けられると思います。 8.お願い カムカムを買って下さることにより、貧困問題、雇用問題、テロ、麻薬などの社会問題、そして環境問題の解決にも大きく貢献されることになります。 皆さんも是非御協力下さい。 9.お礼 最後になりましたが、この場を借りて、東京農大の理事長、学長を始め、多くの方々の日頃からの御支援に、深くお礼申し上げます。 |